魔女を名乗ること
私が魔女を名乗った時、誰もそれを真に否定はできない。
例えば親がサンタクロースを名乗り続けた時
いつか子が「親の仕業」と気づき確証を得たとしても
親本人が否定して、その真実をウチに秘めてる限り
子はサンタクロース=親だということを
確信はしていても立証はできないのである。
23年間生きてきて
幼い頃、たくさん夢見見る子供だった私は
叶う叶わない問わず夢を子供が見ることで
心にどれだけの光が指すかをしっている。
だが近年、子供が嫌でも辛い世間を知るには早すぎるような気がする。
私も子供を持つ親である。子供は無邪気に心を広げていなければ持てる自由が失われる。
だから、私は魔女となった。
近所の子供にお菓子を配るのは良くあることだが
そのお菓子を、「私という魔女が作ったのよ、食べればいつか素敵なことが起きる魔法がかけられてるの」
そう言って渡すことにしてる。
いずれ彼女たちは、大人になって
私を思い出した時
魔女だと名乗り楽しませてくれた人間を思い浮かべるのだろう。
しかし私が、実は人間だということを私自身が主張しない限り
彼女たちの考えは憶測の域を出ることはなく
幼い頃魔女からお菓子をもらったという思い出は
現実としてこの世に残る。
受け取った彼女たちがどれだけ疑おうとも、私が魔女である事を否定しない限り。
魔法で作ったわけがないと、証明は不能。
なぜなら
悪魔の照明に基づいて考えた時
悪魔がいる事はそこに悪魔を呼べばいい。
しかし「この世に存在しない」というのは
証明ができないのである。
私が前を向いてる時に
後ろにいるかもしれないし
人間の視界をどれだけ増やしてもその間を縫って潜んでいるかもしれない。
いる、は証明できても
いない、は証明不可能なのだ。
彼女たちの子供が魔女を信じて喜んだ笑顔を彼女たちが疑おうとも
その時確かに彼女たちは魔女とお菓子の受け取りやおしゃべりをしている。
その輝いた心がどれだけ尊いものか
大人になった時
気がついてくれたら私の魔法は完成する。
一度魔女を名乗った私は
たった1日、名乗っただけだとしても
意味がなかったとしても
魔女を名乗り続ける義務を持つ。
彼女たちからみて、私が魔女であり続けなければ
ひと時の楽しさは淡く消えてしまうのだから。
おとなになって、よく思う。
大人の自由とは、子供の笑顔を守ることなのだと。
だから魔女になりました。
これが今年から始めたことです。
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投稿を表示なるほど、カント的思考ね
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投稿を表示私は“嘘つき”になりました。
大丈夫でも何でもない
つらくて泣きそうな時でも
『大丈夫👌大丈夫👌』💦
心配顔されるの大嫌いだから。
“自分の心に嘘つくと
それが本当になってくる”と聞いてから、大丈夫になるかと思い
嘘つきになったの🙂