郷里のコメダ
春の彼岸の墓参りから、田畑を抜けいつものコメダへ向かいました。
突然の雹に見舞われながら、着くころには晴れ間が覗いていました。冷えた身体を、いや、それと同じくらい心をあたためたくて、とっておきを注文しました。
コーンスープと、夏以来のあみ焼きチキンです。
ほんの少し先に運ばれてきたスープに口をつけると、胃があたたまり、食欲が倍増しました。その勢いでかぶりついた鶏ももは、分厚くやわらかいのはいうまでもなく、溢れ出る肉汁が、幸せいっぱいでした。
おなかが満足したら、デザートが食べたくなりました。選んだのは、もうすっかりなじんだ薄紅色の、ミニシロノワールです。
食べ方を、スプーンとフォークで自由に楽しみました。真ん中からかじってドーナツ型にしたり、上と下に分けてソフトサンドにしたり、八分の一にカットしてコメチキのように放り込んだり、最後は桜マーブルの海に幾度もくぐらせたりと、終始ひと目を気にせず、この一年半で覚えたあの手この手で心ゆくまで味わいました。おいしかったです。
食べ終えるころ、背を向けていた窓ガラスから日の光が差してきました。白磁のカップとソーサーがまばゆく輝き、桜の海に溺れかけた、ピンクの、はじめてこの目で見るポーズをしたうさぎが、最高にうれしそうに見えました。
それから、溶けたクリームと抹茶をスプーンでスープのように掬って、きれいに食べ終えました。あたかも、コーヒーが冷め切ったところでした。
帰りに、土産物をいくつか買い求め、突風のなか新米野木橋まで歩きました。
天白川の岸辺はいつしかよく晴れ、スイセンとスズランが咲き誇っていました。ほど近くの公園を何十年ぶりに訪れると、ペンキは塗り直されようと当時とまったく同じ形をした雲梯が、懐かしく目に飛び込んできました。
その公園は、かつて少年時代に、弟をその友人たちと一緒に助けにいった忘れがたい場所です。
われわれ兄弟にとって、米野木は故郷同然でありながら、小学校は正反対の方角へ通っていました。幼い冒険心に駆られたのか、友人たちとこの公園までやって来た弟を見つけたこの学区の男の子たちにとって、弟らは、おそらく侵入者と映ったのでしょう。
弟は、その後も多くを語りませんでした。想像では、彼が敵を引き受けて友人たちを逃したのだと自分は思っています。脱出した彼らは、助けを求め、家にいたこの自分のところへ知らせに来ました。
急ぎそのほかの友人を呼び自転車で駆けつけると、二、三のはじめて会う男子に囲まれ、雛人形の刀で脅されていた弟は、怯むでもなく、立ち向かうでもなく、強張った顔をしてただその場に立っていました。
そのあとのことは、あまり記憶がありません。人数で勝ったわれわれを見て先方も退き際を悟ってくれたのだろうと思います。いつも家の前の道路で、車に気をつけながらドッジボールや野球や、フリスビーや水鉄砲やで一緒に遊んでいたみんなで近所へ帰ってきたときの、うれしさと、家に入ったあと、弟の緊張がようやく解けて安堵したのを覚えています。
思い起こせた彼の勇気とともに、足取りたしかに、突風のまだ止まない帰りのバス停へ向かいました。
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投稿を表示イシガミさん、おはようございます😊
おぱんちゅのシロノワール食べられたのですね✨色んな食べ方を楽しまれて😆✨なんか、小説を読んでいるみたいでした(´艸`)✨✨
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