日暮れの岐阜
岐阜県庁から、来たときと反対のバスに乗って、金華山の麓へ着きました。
沖縄の民芸品、やちむんの専門店を訪ねるためです。普段家で、洋食らしい洋食のとき以外はそこで買ったやちむんを使っています。湯呑、茶碗、豆皿、平皿と、岐阜へ来るたびに一つずつそろえてきました。はじめて会ったのは忘れもしない、競技場でサッカーの試合があった日、岐阜メモリアルセンターのデッキでした。
店主は年に4回、本島へ足を運び、その目と、ひととの縁を通じて仕入れているそうです。自分は素人ですが、見る限り、品質も品揃えもたしかです。琉球三彩の流れを汲みつつ、それぞれの職人の自由な表現が読み取れるところ、また美濃焼や備前焼といった芸術性の高い焼きものとは違い、あくまでも日常生活のなかで使う道具であるところが好きです。
この日も、気に入る小鉢が見つかってよかったです。世間話も楽しみ、また来る約束をしたあとは、日暮れの岐阜公園を抜けて長良川のほとり、鵜飼のビュースポットへ来ました。

夜に来たのははじめてでした。川辺の街明かりと、なだらかな山並みと澄んだ空がきれいでした。
失恋した川端康成がこのあたりを訪れ、その体験を作品に昇華させたことは知られています。もうすっかり暗く、この日その記念碑へ立ち寄ることはしませんでしたが、対岸のうかいミュージアムや長良川温泉とあわせて、またゆっくり来たい場所です。
そのあと、夕食を食べにコメダへ行きました。岐阜へ来たときは決まって訪ねる、お気に入りのお店です。

着いたとき、まだ若かったシンボルツリーと、それを囲んで植えられていた花の場所が、きれいに整地されていて驚きました。
その後の変化を楽しみにしていただけに、思わずうなだれました。しかし、冷静に考えると、マイ店舗も岐阜長良店も同じ変遷をたどってきたことであり、残されたレンガから推測すれば、おそらく法華店などもそうです。その理由は、維持管理が大変だからではなく、毎日のように、あるいは遠くから来てくれるひとのために見晴らしと風通しをよくしようとする、現代のコメダらしい配慮であると、自分には受け取れました。
そこまで考えて、なお地面をよく見ると、願ったとおり、石だけは残っていました。

はじめて見つけたとき、どれだけなごんだことか——このかけがえのない装飾がいまも大切にされているのがわかっただけで、心が暖まるのに十分でした。
温和な接客も、広々として落ち着いた雰囲気も変わっていませんでした。すっかり冷え込み、スープとグラクロが染みました。キャベツとインゲン豆がうれしかったです。海老の香りが、前回グラタンを食べたときと同じように、遠く伊勢湾への憧憬を駆り立てました。
デザートは、じつはカスタードを思い浮かべていました。部員さんのレビューに刺激されていたし、お昼のたまごが辛かったぶん、甘いたまごが欲しくなっていたからです。
ところが、キッチンへ確認にいったスタッフさんが申し訳なさそうに答えてくれたことには、売り切れでした。残念でしたが、みずからの行動の遅さを悔いるよりは、全国で揺るぎないその人気を喜びました。
幸いだったのは、その次に食べたかったケーキがまだあったことです。これまた大人気の、鳴門金時のモンブランです。

不思議なお皿でした。コメダ標準のケーキ皿と同じ花柄が転写されたグラクロの中皿もはじめてでしたが、オーバル型のケーキ皿があるとは、スイーツの経験が浅いだけに、これまで知りませんでした。
食べてみて、その味わいときたら——侮っていました。すごく、すごく甘かったです。砂糖とはまるで違うおいもの甘さに、ひと口めから笑顔満開で、最後まで萎みませんでした。こんなにおいしかったとは。
どうしてか、黒ごまはあまり感じなかったのですが、去年や一昨年に鳴門金時ジャムや鳴門金時シェークを絶賛していた地区の部員さんの言葉が、やっと飲み込めました。いつかまた、大阪やその先へも行きたいものです。
閉店時刻が近づいてなお、スタッフさんは「ごゆっくりお過ごしください」と声をかけてくださいました。その言葉を素直に受け取り、ぼんやりしているうちに、たまには部員さんの真似をして写真を撮ってみようと思えてきました。

バッグを、自分はこのように、テーブル席では脇の壁か窓側に置いています。2人掛けだと膝の上です。撮影用に向かいに置いたりもしてきましたが、なるほどこのほうが、脇を映すことにためらいがあったのですが、一人で両側を占領するより恥ずかしくありませんでした。
オレンジのジェリコも、この旅のあいだよく無事でいてくれました。これだけ大丈夫なら、これからは、このバッグのときはいつも一緒に連れていこうと決めました。
楽しい空想の時間もやがて過ぎ、最後にあと1枚、ここでしか見られない眺めを写真に収めました。

たくさんの思い出が蘇り、なごやかな会計のあとは、やはり前回と同じように、帰りの細畑駅への夜道まで暖かでした。