愛知を歩く
あいち県民の日にあわせた記念行事の一つ、リニモ(愛知高速交通)と愛環(愛知環状鉄道)共催のウォーキングへ出かけました。瀬戸から豊田を経て長久手へ至る、尾張丘陵を存分に感じるコースです。
自分自身のゴールは、以前訪ねた長久手のコメダと決めて出発しました。
2005年の愛知万博では、長久手会場とともに瀬戸会場も見事でした。その一部が公園として生まれ変わったのが愛・パークです。
愛・パークのいいところは、親子がのびのびと遊べる芝生、遊具や立派に育った木立、四阿と水飲み場や誰もが憩える室内にもまして、全国でも類を見ないやきものモニュメント「天水皿n乗」でしょう。
子どもたちは遊びに夢中で、連れてきた大人もその相手や見守りに余念がありません。そんなかけがえのない親子の幸福を肌身に感じ、大きなお皿を眺めているうちに、自分は、自分自身が子どもだったときの父母の幸福と、この自分の存在が、幾世代もの人間営みのなかにたしかに根を降ろしている感覚に打たれました。
峠道を越えたら、奥三河方面と名古屋を結ぶ猿投グリーンロードの入口がある八草を経て、コース後半の見どころ、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)を目指しました。
勤労感謝の日とあって、園内は目を見張るばかりの笑顔と歓声に満ちていました。ウォーキングのゴール、リニモ「公園西」駅前のロータリーへも、その陽気を喜びとして道なりに歩けば着きました。
しかし自分には、その一歩先に、閉業したコメダの店舗がそのまま残されてあることがわかっていました。
ジブリパークを抱く愛・地球博記念公園は、この自分が子どもだったころは愛知青少年公園と呼ばれていました。よく隣の日進市から親戚の車で連れてきてもらったものです。
わが家には喫茶店へ入る習慣がなく、このコメダの存在に気がついたのはその後何十年と過ぎてからでした。それにしても、この見るからに歴史あるコメダが建てられた当時、青少年公園へ遊びに来たひとたちにくつろいでいってほしい強い思いが働いていたことは想像に難くありません。
一度ですが、中に入れてよかったです。明るい窓辺で飲んだホットココアと、豆菓子のたしかな塩気が飢えを満たしたのをよく覚えています。
この眺めが、この日の折り返しでした。思いを胸に納め、ゴールはゴールとして祝うためいよいよ長久手のコメダへ……その前に、ここから自分だけのウォーキングをスタートしました。
目指す先は、社協や温泉があってコミュニティバスに乗れる「あぐりん村」です。そこまで、昔歩いた川沿いのいい道があるのです。
リニモを挟んでジブリパークの反対側に、本当にジブリらしい風景がどこまでも開けていることを、長久手市民ならずともひとは知るでしょう。
愛・地球博の開催にともなって海上の森が切り開かれたとき、そのおこないそのものが地球の破壊だという声があがりました。その批判の正しさは認めたうえで、自分には、ジブリパーク(近代の人工物)と香流川緑地(古き佳き調和)と、そのどちらもが自然であって、長久手のいまのよさそのものに感じられました。
あぐりん村が近づき、前方には、信長亡きあと秀吉と家康が争った小牧・長久手の戦いの一舞台、色金山が見えてきました。野に散った無名の兵士たちの魂を慰めるかのように、少し早い虫の音がどこからか聞こえてきました。
香流川は、長久手から名古屋市名東区を横切って守山区に近づき、瀬戸と豊田に源流を持つ矢田川に千種区で合流します。その矢田川は、北区で庄内川に寄り添い、西区で合流します。庄内川は、中村区と中川区に沿って流れ、最後は港区の藤前干潟で新川と日光川と合わさって、伊勢湾に面した名古屋港へ注ぎ込みます。か細い流れがいつかは大海へ至る……その雄大を思う胸の高鳴りも、やがて来たバスに乗るころには心地よい疲労に変わっていました。
日が暮れるころ、リニモ「はなみずき通」駅近くのコメダへ着きました。
いつものソファに背中を預け、運ばれてきた特別な1杯に口をつけたとき、長かった祝日がようやく安らぎのうちに終わっていくのを感じました。
記念品のピンバッジを、ここで開封しました。公園西から大切にしまって持ってきたものです。
そこに描かれているのは、現実には並んで走ることのないリニモと愛環の車両とともに、あいち県民の日のシンボルマークです。そのデザインはといえば、愛知県の花「カキツバタ」、愛知県の鳥「コノハズク」、愛知県の木「ハナノキ」、そして愛知県の魚「クルマエビ」であり、ほかにいくつもの花やハートや水玉に混ざって、おなじみの金鯱に奥三河の高峰、知多や蒲郡の海水浴場に寄せる波などが見えます。小さな、本当に愛しているひとでなければ見落としそうな四葉のクローバーも。
あいち県民の日にあわせた記念行事は、コメダを含め、ほかにもあったということです。形は違えど、このマークを持った何かを受け取ったひとはたくさんいるでしょう。
しかし、自分には、やっとまた来れたこのコメダのあたたかさとともに、ほかでもないこのバッジが最高の宝物に思えました。帰りの電車の時間を忘れるほど、はちみつの強い香りとともに、いつまでもそれを目の前に見つめていました。