夕ご飯は、お待ちかねのお肉にしました。飲みものは甘党の南吉に倣いました。
ひと口めから肉厚のパティにしっかり届くよう、ガブッといきました。これだよ、これが食べたかったんだよと、誰かに話したくなりました。
朝一番にボートレースとこなめへ迎えにいったとこたんに、もし魂があるものならば聞こえたでしょうか。朝トコ小判レースは外しちゃったけど、そんなにおいしそうに食べて、よかったねえ、ぼくもうれしいよと、そう言ってくれたでしょうか。
気がつくと、お皿が空になっていました。察しのいい店員さんがほどなく下げにきてくれました。
そこでようやく、ホイップを崩さないよう慎重に、また時間に余裕ができるよう控えめに、ここまでコーヒーとゼリーだけ吸っていた、ジェリコの頂を、パクッといきました。

南吉も微笑むような、素直な笑顔になれた気がしました。
記念館では、今回は特別な一冊を買いました。2013年の新美南吉生誕百年に合わせ、半田市全域で、ときに全国へ出張しておこなわれた一年間の記念事業の記録です。
そのアルバムを見ていると、小さな子どもからお年寄りまで、南吉がどれだけ広く愛されているかがしみじみと伝わってきました。各会場に足を運んだ読者の活き活きとした顔、そして、各舞台に立った半田のひとたちの真摯な表情を、しばらく時間を忘れて見つめていました。

やがてそれは、「おもいでのアルバム」といっても、ひとり半田だけの思い出ではないと思えてきました。
たとえば、市民ホールでみんなで合唱を歌ったこと——南吉の作品を通して心に灯りを育んできた、半田の青少年の姿は、かつての自分と重なりました。自分にも、このようなまぶしい日々があったのだと。それはあたかも、わが家のアルバムを見返したときの感覚でした。
自分の存在は連綿とくり返される世代交代のひと齣にすぎないが、たしかにその一部分として、心に宿る灯りを次の世代へ受け渡していきたい——そう思えた以上、半田の宝は、ただ半田だけのものではなかったのでした。
そしてそれは、常滑も大野も同じことでした。

記念館の壁に、若き南吉の言葉が記されていました。メモに取る時間はなかったのですが、それはおよそ、こういうことでした。
本当にもののわかった人間は、おれは正しいのだぞなどという顔を決してしていないものである。おのれが不正な存在であることを深く認識し、それゆえに、いつも表情にどこか悲しみをたたえているものである。
自分は、その悲しみは美しいものに違いない気がしました。それはコメダで見たあのアルバムで、南吉の仕事を今日まで伝えてきた、主として年配のひとたちの顔に読み取れた美しさです。
そうこう考えているうちに、帰りの特急が名古屋駅へ停まりました。
今度は金山ではなく名駅を選んだのは、そのほうが家まで近いからです。それ以上に、そこにあるコメダで、そこでしか買えない、この日最後のおやつを買いたかったからです。コーヒーもいれてほしかったです。
手渡しで受け取り、カウンターでひと口だけ熱々を味わったら、砂糖を溶かして家まで大事に持ち帰りました。着いたらサッとあたためなおして、すぐ一緒に食べました。

これで何度目かのかりんとうは、三度揚げの謳い文句に違わず、たしかにカリッとしていました。豆菓子といい勝負でした。
しかしよく味わうと、内側からじゅわっと、黒糖の甘みが染み出てきました。
そのすずっコより深い甘みが、甘くまろやかなミルクとともに、一日の疲れをすっかり癒してくれました。


