読み書きから
いつ以来かのささしまライブへ行きました。愛知大学やグローバルゲート、中京テレビがある場所です。
日が傾くまでは、JICA中部なごや地球ひろばで学びの時間を持ちました。コメダとも無縁ではないSDGsや、より広く世界に生きるひとたちのことを、子どもから大人まで楽しく多面的に学べるスペースです。
今日は、お母さんに連れられたまだ中学年と見える男の子や女の子、それにリュックサックを背負って一人で来たらしい高学年の子も見かけました。そういう熱心な子どもたちに背を向けないためにも、いい歳をした大人の自分も、時間の許す限り一つひとつの展示に立ち止まって向き合いました。
出るころには、外はもう涼しくなっていました。ささしまライブの交差点を渡り、名古屋高速の高架をくぐると、そこは堀川と並び水運上名古屋発展の礎を担った、中川運河の一方の端です。
自分の目は、いまでは運河よりも緑なす広場に向かいました。近くに住む地域のひとたちや、講義を終えた学生たちがあの場所で思い思いに憩いの時間を持つことがあれば、この街をつくってきたひとたちもさぞ報われるだろうにと——
やがてコメダへ行く時刻が来ました。妥協せず落ち着ける席を探し、注文は、少しの熱を冷ますのにジェリコにしました。
うまかったです。このほうじ茶ジェリコの最大のよさは、香りでも甘みでも色でもなく、丁寧に選別され焙じられた日本茶の尽きせぬ深い旨みだと、今日はそう感じました。喉も、身体も芯まで潤いました。
さて、名古屋市中川区といえば、コメダグループの大餡吉日のほか、前田利家を生んだことで知られるでしょうか。関心のあるひとのために、その人物像を太閤秀吉功路の看板から書き写しておこうと思います。
「前田利家は、天文7年(1538)、尾張国海東郡荒子村(名古屋市中川区)で生まれた。前田氏は荒子を支配していた土豪とされる。幼名は犬千代。織田信長に親しく仕え、一時謹慎していたが、復帰後は次々に軍功を挙げ、天正9年(1581)能登一国を与えられた。|利家は柴田勝家の与力であったが、豊臣秀吉とも親しく、勝家と秀吉が争った天正11年の賤ヶ岳合戦で秀吉に与し、その勝利を導いた。これにより加賀半国を与えられ金沢城に入った。|慶長3年(1598)、死の床についた秀吉から、徳川家康とならぶ五大老の筆頭格として秀吉一子秀頼の後見を任じられた。しかしその翌年、利家も62歳で病没し、豊臣家は家康に滅ぼされることになった。|利家は長身の美男子で、槍の又左とも呼ばれた。その子孫は加賀百万石の藩主として幕末まで続いた。」
JICA中部なごや地球ひろばでは、現在、企画展・パネル展「HOPE——学びを未来の力に変える」が開催中です。会期は、9月18日(月)まで。お近くへお立ち寄りの際は、ぜひ。
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投稿を表示美味しく撮れています♪
ささしまライブに興味が出てきました🙂
ジェリコ、美味しく撮れています♪
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