故郷の花
一昨々日、父の日は故郷へ墓参りに行っていました。交通は、名古屋市営地下鉄東山線のりかえの伏見から鶴舞線終点赤池まで行き、そこからは名鉄バスのほか日進市のコミュニティバスが出ています。ときには、声優の石田彰によるアナウンスが流れることもあります。
鶴舞線は、赤池が終点だといったのはやや語弊があって、名古屋市が営む6つの地下鉄路線(黄色い東山線、紫の名城線と名港線、青い鶴舞線、赤い桜通線、そして桃色の上飯田線)のうち唯一のりかえなしで名古屋市外へ接続します。赤池方面は豊田市へ至り、そこから南の知立を経て碧南まで、一つ隣の梅坪からは北東の猿投まで、一方の上小田井方面は犬山へ至り、そこから北東の可児や、北は木曽川を越えて各務原までつながる、喩えるのなら青空のように広大無辺な路線です。
わたしは、開業間もない名鉄豊田線日進駅の近郊に生まれ、この鶴舞線によって名古屋と結ばれながら育ちました。
この向こうには、藤島、岩藤、五色園といった街々が並び、遠くに霞んで見えるのは猿投山です。猿投神社の奥に建てられた棒の手会館のことは、知るひとぞ知ると思います。日進でも、農民武芸であるその棒の手は、いまも浅田と米野木で伝承されているといいます。
ここからは見えませんが、向こう側の東名高速道路日進JCTからは長久手ICへ至る名古屋瀬戸道路の高架が走っています。2005年に現在のジブリパーク(旧愛知青少年公園)を会場の一つとして開催された愛知万博の折りに多く利用され、現在でもイオンモール長久手へアクセスするのに重宝し、瀬戸市ともきわめて快適な無償の道路で結ばれています。ちなみに、管轄はNEXCO中日本でも名古屋高速でもなく、知多、猿投、衣浦に鏤められた有料道路と同じく愛知道路コンセッションになりますが、重要度で何ら劣るものではないのは周知のとおりです。
そんなことを話しているあいだに、コメダへ着きました。郊外型の店舗のなかでも、ここまで広い水田の一角に建てられたコメダというのも、もしかしたら珍しいかもしれませんね。
前回、春の彼岸に来たときはめっ茶モンブランを食べたのでした。もちろん今回も、ケーキは外さないつもりです。とはいえこの日は、朝に最寄店で定番モーニングを食べてから喉を潤す以外は何も口にしていませんでした。となると、まずはスナックからか。
昔、ここで何を頼んでいただろうか。それはコーヒーを除くと、ミルクセーキとピザトーストでした。それよりも、いまならば何を頼もうか。いま、自分が食べたいものは何だろうか。
この2人席へは、店長がわざわざ案内してくださいました。10年前と何一つ変わらないお顔で安心しました。相変わらず潰さずに食べるのが苦手なこちらの様子にも、穏やかに目を瞑ってくださっていたことと思います。
奥の壁に見える緑地のコーヒーカップとソーサーは、インスタグラムの日進米野木店アカウントに記事があるとおり、昨年夏に惜しまれつつ閉店した和合店からそのまま受け継がれたものだといいます。もう一つの遺産、コーヒーグラインダーもこちら側のどこかにありますので、気になる方はぜひ足を運んで探してみてください。
ともあれ、なかなかこちらまでは来れないなかでこの席へ着くことができ、この眺めをみなさんへも届けることができてよかったです。
空腹が満たされたところで、たばこを吸いにいったん外へ出ました。日除けの和傘に、適度に視線を遮る木に守られて落ち着ける場所です。捨てずに置かれた吸い殻も少なくなく、同郷のひとたちがいまもここでくつろぎの一服を享受していることに、勝手な客の領分とはいえ一抹の安堵を覚えました。
岐阜領下店もそうでしたが、店内完全禁煙で喫煙スペースを屋外の少し除けたところに設けるというのは、店内に喫煙ルームというパターンに比べて、逆説的ですが田舎のむしろ優位性というか先進性を考えさせられます。
ともあれ、考えごとは一人のうちの時間に——お待ちかねのケーキの時間です。何があるかな。
美味しかったです。もしかしたらストロベリッチを凌ぐほどに。コーヒーカップも、どうしてそうなったのか文字が半分以上青みのない侘しい色をしたたいへん珍しいもので、思わずまじまじと見つめてしまいました。
フローラルブーケですが、最上級の食べにくさは評判通りで、まだ2回目ではやはり真っ白なお皿のままでとはいきませんでした。それでも、パウンドケーキよりはずっとまとまりがあり、焦らない限りフォークにうまく乗ってくれます。濃厚で、それでいてほんの少しのコーヒーの熱で軽やかな香りが花開く、これは明治とコメダの、手と手を携えたプロの仕事としか称えようがないですね。
時間をかけて食べ終え、満足して帰途へ——あまり遅くなっても、朝のコメダに間に合わなくなります。
出るときに、少し残念なことがありました。
わたしは普段、昔はその礼儀も弁えていなかったものですが、伝票を差し出すときに「ありがとうございます」の一声を届けるように気をつけています。おそらく多くの方も理解されているとおり、たいていは、スタッフがレジカウンターへ向かうこちらに気がついて先にその一声を発してくれる、それに対する返事の意味もあります。ただ、この間よく感じ取ろうとしてきてわかったのが、コメダのスタッフは、どうやら毎回必ず、最後は「ありがとうございました」と言ってくれるのだということです。
この日、わたしは気後れからそれが言えず、レシートを財布にしまって黙って頭を下げただけで立ち去ろうとしてしまいました。それでも、そんなこのわたしにスタッフはその「ありがとうございました」の一言を、明朗に届けてくれました。もう背を向けかけていたため、はっきりと返事ができず申し訳ないことをしたと思います。それだけが心残りです。
コメダのひとに比べれば、謙遜ではなく、このわたしなど一介の狼藉者に過ぎないと思います。次に訪れたときは、もっと明るい自分でいられるように。
懐かしい風景です。わたしは、日進のひとたちにとって何か共通の誇りがあるとすれば、それは岩崎城や棒の手、御岳山の平成展望台といった人の手になるものは別格として、声優の石田彰を産んだことと、天白川の水源があることだと思っています。いまも、メダカやハヤ、アメリカザリガニやカワセミは元気に暮らしているだろうか。
話が飛ぶようですが、父は静岡市、豊橋市、名古屋市、京都市、葛葉市と一貫して都会で自己形成を遂げたひとで、母も豊橋市から奈良市、大阪市、そして葛葉市と生きてきたひとです。二人が、日進のような田舎へ住んだのは自分たち子どもが生まれてからがはじめてのことで(姉だけは、大曽根で生まれたと聞いています)、野蛮なわれわれを育て、毎日つきあうのにずいぶん苦労したに違いありません。ようやく精神的に追い越したと思えるいま、そう気がつきます。
残された時間で、何度も何度も歩いた道をたどって米野木の駅へ向かいました。その様子は、あまりにも個人的な領域であるためというよりも、もう遅いのでダイジェストでどうぞ。
この先に開ける、何度でも訪れたくなる愛知池と愛知牧場に踵を返し、いまのわたしは、名古屋へ。
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投稿を表示イシガミさんの思い出(想い出)にコメントする事は失礼にあたります🙂
この
⚪︎田んぼに近い店舗
⚪︎薄くなったカップ
⚪︎和合店
⚪︎お声掛け
のお話しは特に気になりました😊
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