原点へ
母方のいまは亡き祖父母を訪ねに、小さいころ名鉄名古屋本線でときどき豊橋へ連れていってもらいました。母の家は、豊橋鉄道市内電車(市電、路面電車)下りの2つある終点のうち、赤岩口が最寄りの停車場で、この日もまずはそこからいちばん近いコメダ珈琲店を目指しました。
その前に、お昼時の混雑からやや外す意図もあり岩田運動公園の豊橋市民球場と水神池をめぐってきたため、すでにおなかはぺこぺこでした。着いたときには、久しぶりにコメダのバーガーにかぶりつきたくなっていました。
いつ食べても美味しいですね。自分で言うのも何ですが、カツカリーパンでつかんだ要領でぱくぱく平らげられたのも成長だと思います。
このあと、コメダで元気を回復したところで、一度駅前方面へ引き返して豊橋公園を訪れました。自分にとって、豊橋でいちばん思い出深い場所です。
中学年のころ、忘れられない夏の日、母が子どもたちを連れて実家の帰りに、一度だけ豊橋公園を案内してくれたことがあります。はじめて聴くクマゼミの声の感動以上に、あんなにうれしそうな顔をして活発に振る舞う母は、あの日はじめて見て驚くほどでした。
父から聞いた話では、おたがい同じ小学校時代に父の引っ越しで離れ離れになるまで、父は内気な日陰者で母のほうがはるかに陽気で人気者だったといいます。そんな母が、一度はこの豊橋公園で、たとえ二人きりではなくても、幼かった父と一緒に遊んであげたことがあったのだろうか……。
それは、この先に和解と会話がなければ確かめのようのないことではあります。それでも、ほかでもない自分の力で、この自分がそんな健やかな二人の子どもなのだと想い描けることはこの心をたくましくしてくれるのを感じました。
このあと、もう一度引き返して赤岩口で降りました。母の実家はもうないですが、日暮れの迫る赤岩寺を目指してさらに歩きました。
最後に、もうすっかり日も暮れたころ、お昼と同じ夜のコメダへ立ち寄りました。はじめて食べるホットサンドは、甘辛くて、分厚くて、手が汚れてしまうのも気にしている場合ではないほど美味しかったです。
ラストオーダーを過ぎ、初対面になるスタッフさんと少し会話ができたうえで帰途に就きました。身が引き締まる思いと、なごやかな気持ちになれたのと両方でした。
成人式には出ませんでしたが、二十歳を過ぎ、こうしてその倍の年齢までどうにか生きてこれたのは、強く産み育ててくれた両親に恵まれたと言わなければなりません。その強さがあれば二人にもっとやさしくなれるはずだと、母の生まれた夏の日に、乏しくも確かな考えを一つ得ました。
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投稿を表示お昼と夜と、同一店舗に2回の来店は
私的に“良い感じ”です。
昼と夜では店の雰囲気が違うので
嬉しくなってしまうのです。
懐かしの土地でのコメダ珈琲店を
堪能された様子が伝わりました🙂
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投稿を表示イシガミさん、おはようございます。
ベンチの羊羹が美味しそうだったので、モーニングの帰りに買いました。
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