コメダ写真館

イシガミ
2025/08/26 18:18

ひと筋の想い

白雲から東海道を少し歩いて、尾張四観音(守山区龍泉寺、あま市甚目寺、中川区観音寺、南区笠覆寺)の一つを訪ねました。

天林山 笠覆寺 仁王門
放生池
本堂

笠寺観音の通称で親しまれるこの地には、古い言い伝えがあります。

創建から百数十年を経た平安時代前期、御堂は荒れ果てていました。ある雨の日、鳴海の長者に奉公し、その美貌からひとびとに疎まれていた一人の娘が、ずぶ濡れになった観音様をあわれに思い、みずからが被っていた笠を被せてあげました。後日、鳴海へ立ち寄った都の貴族に見初められ、妻として迎えられました。そののち、彼女は玉照姫と呼ばれ、夫婦で寺を復興し、その名を笠覆寺にあらためたといいます。

いつの世も、心優しいひとは報われるという希望が感じ取れます。

もう一つ、多宝塔の前に据えられた石碑も見ていきました。

徳川家康公御幼少之砌 人質交換之地

松平宗家九代家康、幼名竹千代は、祖父清康が尾張の織田信秀(信長の父)と争う渦中に横死し(守山崩れ)、その子広忠が劣勢を覆そうと駿河の今川義元に援助を求めた見返りで、人質として送り出されました。ところが、護衛役の田原城主戸田康光が裏切り、織田方に売り飛ばされた家康は、熱田に幽閉されていました。その後、今川方の人質となっていた織田信広(信長の兄)との交換条件で、あらためて今川の人質となることになります。その際、織田から松平・今川へ身柄が引き渡されたのがこの地、ときに家康八歳のことです。

見晴台考古資料館とのつながり含め、心あるものならば、史跡に立ち止まって碑文をよく読み、歴史を踏まえていま生きている社会を考えることができる、この街の文化的豊かさに触れました。


帰りは、バスで新瑞橋へ出て、イオンとそのなかのコメダに寄りました。

地下鉄に乗り換えてすぐ帰ることもできたのですが、白雲からまた汗を流したのと、そのコメダはマイコメダのグループ店舗で、かねて気になっていたからです。

イオンモール新瑞橋

コメダの統合報告書は、白雲では資料館で買った遺跡のガイドブックを早く読みたくて、表紙を見ただけでした。運よくここにも同じものが置いてあり、たっぷり時間をかけて読みました。混み合う時間帯で、一人で場所をとらないカウンター席へ案内してもらえて助かりました。

社長のお気に入りが、今年は王道のコメダブレンドに変わっていたのには一本取られました。その前に、役員ごとの役割分担を明確にしているのはさすがいまのコメダだと思いました。

そのほか、とくに集中して読んだのは、オラム社、琉球コメダ、接客コンテスト、キッチンオペレーションコンテスト、そしてカスタマーハラスメント対応宣言に関する記事です。なかでも、稲沢駅東店の赤堀さんの言葉について、よく考えました。

「接客は、本部からキッチンまでたくさんの人の想いをお客様に直接伝えられる素晴らしいポジション。だからこそ、お客様が今何を求められているのかを瞬時に察知して、くつろいでいただける接客を心がけています。」

何が「だからこそ」なのか?——コメダを支えるたくさんのひとの思いがコメダへ来た一人ひとりの希求と呼応する一瞬、その価値は計り知れないし、それを現実にする一人のスタッフさんの輝きは、たしかに全国一位に恥じない、このうえなく貴いものに自分には思えました。

それから、一人の客としても、たくさんのひとの思いがつながってこうしてコメダでくつろげている以上、明示か暗示かを問わず、お店が求めていることを理解し、せめて緩慢でなく動けるようになりたいとの思いを強くしました。

新瑞橋から見た山崎川

イオンを出て、桜通線の駅までもう一度新瑞橋を渡りました。このあたりでは、山崎川が南区と瑞穂区の境になっています。

瑞穂ではまだあれだけ細かった流れが、日の傾きかけた西の空を背に、見たことがないほど広く、おおらかに見えました。

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