隣街と
4月の風に誘われ、サイクリングで隣街のあま市へ行ってきたときのことです。
クリームコーヒーは、このときがはじめてでした。というよりも、ソフトクリームを戴くコメダのドリンク自体、人生でこれが2度目でした。忘れもしない6年前の夏、いまのコメダでアイスココアを頼んだとき、どうやって手をつけたらいいのかわからずにどんどんソフトクリームが溶けて、テーブルも手も汚してしまった失敗体験がずっと尾を引いていたのかもしれません。
アイスココアは、学生時代の自動販売機でアイスコーヒーではなくそちらばかり買っていたとおり、もともと大好きでした。しかし難物だったのがソフトクリームです。幼少期を通じて、数えるほどしか食べたことがなかったからです。

ようやく、自己決定ができる大人になりつつあるということでしょうか。何のことはない、まずソフトクリームからパフェスプーンでひと口ずつ掬って食べていけば、やがて境目もほどよく溶けてストローも難なく刺さり、これほど美味しいアイスドリンクもそうはないでしょう。1ヶ月経ったいまも思い出すほどです。
ところで、愛知県あま市は、名古屋城築城にあたりその後400年近く名古屋の水運上重大な役割を担うこととなる堀川の開削を主導した武将、福島正則(広島藩主、のち信濃高井野藩へ改易)や、阿波踊りで名高い徳島藩の家祖、蜂須賀正勝(小六)を産んだ土地であり、両者とも、秀吉の腹心です。

そのあま市でも萱津というと、織田信長が、津田豊後守(稲葉地城主にして信長の伯父)、前田利家らと敵対する清須織田勢に勝利した萱津の戦いの舞台として知られます。その話はまた今度にしたいと思いますが、いずれにしても、武将の故郷といわれる名古屋中村は、源頼朝以来、鎌倉街道の宿場町(東宿)として繁栄を遂げた経緯があり、萱津橋は、あま市と名古屋市中村区を結ぶ重要な橋としていまも往来の絶えることがありません。

花はとうに散り、半紙は貼り替えられようと、寄贈を受けた蜂須賀桜の若木はいまも中村公園内や、中村区役所等複合庁舎の脇で育っています。願わくは、この夏をコメダのソフトクリームで乗り越え、来たるべき春にふたたびその開花にめぐり逢えますように。
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投稿を表示コメダ珈琲 萱津橋店・甚目寺森店、しばらく行ってないから行きたくなりました🙂
西の尾張地区がご無沙汰です😅
写真のクリームのツノ、良い感じですね🧡
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投稿を表示イシガミさん、こんばんは。
イシガミさんは、ソフトクリームを
数えるほどしか食べたことがないのですか👀⁉️
私は、ソフトクリーム、アイスクリーム、シュークリーム、クリームソーダ、クリームコーヒーと、クレームは嫌ですが、クリームが付くのは、大好きです。🍦
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