見出した円
駅前の自動販売機でスポーツドリンクを補給したら、石畳を目印に歩きだしました。日暮れの迫るなか、けっして歩調を早めることなく——それは、東京で学び働いた4年半をのぞいて終生この田舎で暮らした南吉にしても、同じことのように思えました。




お殿橋とは、桶狭間の戦いののち生母於大の再縁先である坂部城(阿久比町)に身を寄せた家康が、叔父の岩滑城主中山勝時を訪ねに矢勝川を渡ったあたりに掛けられた橋だといいます。いかにも、いい場所でした。
半田に限らず、家康にまつわる伝承は愛知県各地でいまも見ることができます。それは、江戸時代に神格化され尾張徳川家もそのことを重んじた名残りであるとともに、真偽はいったん棚に上げて言い伝えを大切に守ろうとする、それぞれの地域のひとの健気さであるように、自分には思えます。
飛び石を渡り右岸へ戻ったとき、一瞬、冥途から生きた世界へ還った心地がしました。たんに、コメダがあるのがそちら側だからだけだったでしょうか。




新美南吉記念館は、わかっていたことですが、もう閉まっていました。また一つ次回の楽しみができました。今回は、親しみある作家の故郷を存分に感じられたのをよしとして、あとはもう、コメダの夕べにしました。


グラタンが、ローレルの香りがしっかりしておいしかったです。そのうえ刻み海苔から立つ磯の香りが——スプーンの大きさで、熱々のまま何度も頬張りました。エビがぷりぷり、しめじがじゅわっと、チーズがこんがり噛めば噛むほど、そのまま帰りたくなくなるくらい、幸せでした。
やがて暇を告げて、記念館前の横断歩道まで引き返しました。反対車線の沿道から見た夜のコメダがきれいでした。それを見送り、夜の県道を歩くのはドライバーにやさしくないと思い、民家の明かりのあいだを縫う大野街道(黒鍬街道)へ入りました。駅へ着き、ホームに飾られた「手袋を買いに」の絵を見つめ、すらりと独り立ちした子狐の姿を胸に収めたら、もう帰るだけでした。
おみやげは、カブトビールとピンバッジのほかにマンホールカードを手に入れました。

隙間時間を懸命に使い、半田で入手できる3種類すべてを集めました。当然のことですが、実物のマンホールも探して見ていきました。




すべて、心から満足した旅でした。知多のことが、コメダとともに、前よりももっと好きになりました。
