コメダ写真館

イシガミ
2025/10/07 17:11

秋雨の旅

名鉄で半田へ行く日、朝を金山のコメダにしました。

イベントスケジュールを調べて、行くならこの日と決めていました。少ない荷物をキルティングバッグにまとめて出かけました。

サラダがおいしかったです。2日連続といわず、毎朝食べたいくらいです。

パンのほうは、たまごドッグではないですが、サンドしてあるのを食べるのはトーストにのせるのとは全然違ったよさがあるのを感じました。トマトときゅうりの盛りつけが、何だかうさぎに見えて、ほんわかしました。トマトにだけはしょうゆが好みです。

特急で太田川を過ぎ、阿久比で降りました。向かいのホームの普通に乗り換え、最後に来たあの夜と同じ、半田口の駅へ着きました。

「ごん狐」といえば、栗です。

兵十がつかまえた鰻を横取りし、その後兵十の母の葬式を見たごんは「兵十は病気のお母さんのために鰻を獲っていたのかもしれない。お母さんが死んでしまったのはおれがいたずらをしたせいかもしれない。悪いことをした。兵十もおれも一人ぼっちだ」と考え、山から栗をどっさり採ってきては、兵十の家にこっそり置いていくようになったのでした。

目指す先は、その「ごん狐」で知られる新美南吉記念館と、そこから徒歩5分のコメダです。しかしその前に、まずは半田赤レンガ建物へ向かいました。

南吉をテーマにした企画展が観たいのと、カブトビールを買いたいのと両方ありました。それだけでなく、途中の住吉町までですが、かつて南吉が半田市街中心地との往復で何度も歩いた道を、この足で歩いてみたくなったからです。

正面ゲートへ着くと、きれいな花壇がここまでの疲れを忘れさせてくれました。

見たところ4階か5階建ての、おそろしく立派な建物です。葵のコメダが入っているビルや、道を挟んで隣の本社ビルといい勝負でしょう。いえ、使用しているレンガの数を考えるのなら、さすがのコメダも一歩を譲るのではないでしょうか。

展示は、素晴らしかったです。注目したのは、段ボールと厚紙とベニヤ板を用いた造形作品です。

太田晶「ごんのきおく」

孤独なきつねの心の動きが、身に染みて感じられました。ほかに石川真衣「Invisible layers」(ミクストメディア)がよかったです。

ショップでビールを買ったら、もと来た道を引き返しました。踏切を渡り、南吉の生家と常夜燈を過ぎて、あの日コメダから駅までの帰り道で選んだ、大野街道を歩いていきました。

岩の置かれた分かれ道に、道標と看板が立てられていました。その看板には、南吉のふるさとのことが、こう書かれていました。

大野(黒鍬)街道

新美南吉の生家の前を通り、岩滑の町を東西に貫くこの道は、常滑市大野に通じる道として大野街道と呼ばれています。

童話「おじいさんのランプ」の舞台でもある大野は、古くから知多半島西海岸を代表する湊として栄えました。その大野と東海岸の半田を結ぶ大野街道には、多くの人や物が行き交っていました。

「お母さんは、あの道の暑い日盛りに通る人々をかぞえあげました。大野の町から車をひいて来る油売り、半田の町から大野の町へ通る飛脚屋、村から半田の町へでかけてゆく羅宇屋の富さん、そのほか沢山の荷馬車曳き、牛車曳き、人力曳き、遍路さん(…)」

「牛をつないだ椿の木」より

知多半島を横断する大野街道は、三河から関西に抜ける、いわば東海道の裏街道としても利用されました。また、溜池の築堤などで土木技術を磨いた「黒鍬衆」と呼ばれる人々が、農閑期に全国へ出稼ぎに出る際、この道を通って出かけたため、黒鍬街道とも呼ばれました。

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1 件の返信 (新着順)
のん吉
2025/10/07 17:32

イシガミさん、こんにちは😃
素敵な旅ですね…
赤レンガの建物も素敵です👍
私、実家に帰省する事ぐらいで、ほとんど旅をしないので、羨ましいです😍


イシガミ
2025/10/08 17:05

コメントありがとうございます。
近場でも日帰りでも、たまには旅に出ることができるのは幸せなことですね。