根を降ろす
今日金曜日は休みの日、スタッフ伊藤さんが間接的に諭してくれたおかげか、自分の祝日にしました。午前中にやることを終え、お昼からバスで街中へ。
この間ずっと、名駅(町名がこの名駅ですが、名古屋駅の東側、一般的にターミナル駅の正面玄関と見られるほう)のことばかり話してきたように思いますが、名古屋のもう一つの中心街は、副都心の金山と大曽根を除いて、栄といいます。
エンゼルブリッジからセントラルブリッジ、さらにその先の名古屋城外堀へと至る久屋大通公園、その地下のセントラルパークと地上のRAYARD Hisaya-odori Park、その中心に位置する中部電力 MIRAI TOWER、百貨店では名古屋栄三越に松坂屋名古屋店、より現代的な業態では、SKYLE、LACHIC、BINO SAKAE、MARUEI Galleria、ふたたび大津通を南へ向かうと栄ガスビル、名古屋PARCOそしてNADYA PARKといった施設が並び、音楽家のためにはカワイ名古屋と、遠方から名古屋駅へ到着の方以外にとっては名古屋のセンター街といえば、栄のほうが強くイメージされるかもしれません。
余談ですが、建設中の中日ビルの玄関向かいには、旧ユーゴスラビア出身のドラガン・ストイコビッチと並ぶ名古屋グランパスのレジェンド、守護神楢崎の手形が置かれています。自分も通りかかるたびに手を嵌めていますが、意外と普通です。
もちろん、名駅か栄かという対立ではありません。主に広小路と大津通を走る都心ループバスと市営地下鉄東山線によって、両地区は密に結ばれ、それぞれによさがあるからです。
ナディアパークのロフト名古屋が、今日6月30日で27年間の歴史に幕を下ろしました。といって、嘆くことは何もありません。名鉄百貨店本店の名駅ロフトにくわえ、栄ロフトが変わらず栄で営業しているからです。ただ、若年から——札幌駅や名鉄岐阜駅の店舗を含め——LOFTを愛してきた一人として、今日行くと決めていました。そこで大切な買い物をしました。
その後、バスを乗り継いで今度は正反対の方角の大治へ着きました。
少し話が遡りますが、春に三重県にあるコメダの森の体験ツアーに参加させてもらったとき、当選したはいいものの着て行く服がありませんでした。といって、シンデレラでもありません。そのときに上下を調達しに選んだのが、ほかでもない隣街のワークマン名古屋大治店です。
さて、大治といえば紫蘇と、コメダ部員にとってはやはりコメダ珈琲店でしょう。日が暮れる前に、予定通り大治店へ到着しました。
注文は、幸運に恵まれたブラックモンブランです。
本当に美味しかったです。こんなに甘くて、ミルキーでまた底知れず甘くて、一日の疲労がゆるやかに抜けていくのを窓の外を気にせずにずっと感じていました。店内には、心地よいフランスの歌が流れていました。
ここでもう一度、自分自身の物語をつむがせてください。わが家は七人家族で、自分が生まれたときには祖父は他界していました。小さかったころ、子どもたちの誕生日には父と母が街のお店でホールケーキを買ってきてくれて、八等分してみんなでちゃぶ台やテーブルを囲んで食べました。飲み物は、決まって母が用意してくれる紅茶でした。最後の一切れは、誕生日の子どもの翌朝のものでした。
もし祖父が生きていたなら? それはわかりません。ただ、父は祖父と祖母の子です。あの厳しかった父以上に、時代を措いたとしても、祖父はさらなる厳しいひとだったに違いありません。父も、苦労してきたわけだ。
それでも、それだけではありません。あの明朗さも、無邪気さも、真面目さも、何よりつねに前を向く姿勢も、祖父と、その祖父を選んでくれた祖母から、自分たちの世代へ受け継がれて……
「もういいよ。そんなに気を張らなくても。」ふと、そんな家族のやさしい声が聞こえた気がしました。目を開けて、まだほんの少しぬくもりの残ったコーヒーを飲み干したときには、笑顔と誰かに届く声を取り戻していました。
帰り道は、バスに揺られて心地よかった幼年の日の夜のようでした。バスを降りてからは、たしかな足取りで家まで歩きました。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示イシガミさんの“歴史”と“人となり”
ほんの少しですが判り、感じられました🙂
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示