そろそろどこかでホッとしたい。選挙の作戦会議をしても筒抜けになるからガッチリには使えないけれど、シロノワールが『公職選挙法の第13章、第139条において「何人も、選挙運動に関し、いかなる名義をもつてするを問わず、飲食物(湯茶及びこれに伴い通常用いられる程度の菓子を除く。) を提供することができない。』を潜り抜けられたらなあ…。
*この「通常用いられる程度の菓子」とは、おせんべい」など。ケーキはダメなので、おまめはセーフだよね?
タウンミーティングでも、少人数ならおやつを出したかったりするけれど。ダメなんだよね…。きちんと報告をして政務調査費のお茶代で使うこともありえますが。
遠足のテッパン「バナナはおやつに入りますか」とおなじだが、なんとかならないかなぁ。(規範意識のあるわるいこだもんで)
参議院の末松予算委員長のウラ回しが鬼なのは見どころでもあるわけだが、気がついた変態…もとい、記者(TBSラジオ澤田大樹(さわだ-だいき)氏がいる。聴取データからはリビアからもアクセスがある。
隣区の士業団体の前会長の先輩、無事当選。
横須賀(神奈川の方です。愛知じゃないよ)の兄貴分は合格。船橋の先生も。あとは地元の姉さんだけ…(14:30 当確!)仕事が手につかない。わたしのように同業者からも初見で面罵されるなどし、信頼性が低いと見なされている人間は直接手を下さずに主権者教育とデータ分析などで後方支援をし、フォローするのが一番よいと考えているため。マスコミの言うことでも裏が取れないことはどうするのやら。
男女を問わず相手が「きらい」「こわい」と言ったらそれまでだし。全員に好かれるのは無理だし、政治も福祉も清廉潔白なだけではすまないが、ホンネを出すと叩かれまくる上、挙句証明しにくいことも持ち出されてないことにされるのは目の前で散々やられているし。ほかの人が担当するほうが効率が圧倒的によい以上、常に公金で禄を喰むのはどうかという議論から逃れられないのでね。切り捨てるべきと考えておりそれが善であると信じている方々には、私を指して「生きていることが犯罪」などと言うものもあったり、話をするまでもなく面罵するかたもおられますが、悲しいですがその程度の民度かつ民意なのでしょうし。これらはいうまでもなくこれまでの教育と民度を作ってきた自分たちの落ち度ですから。これらの被選挙権も人権だという認識が足りない有権者も多いです。わたしは「白いフィクサーになる」と昔から公言してきていて、現にそうしているのに「出馬しないの?」と現職に言われ逃げ回ってきたのに…‼︎
せいぜい仲間内での調整くらいの役にしか立てない。無礼者どもは斬って捨ててもいいが、それはできないし。死んだじっちゃんが言った「生まれつきならず者としての領分があるんだから、そこは弁えなさい」というのもあるし。
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投稿を表示もぐさん、コメント失礼します。
ご苦労お察しします。
自分は、いま住んでいる街へ来て本当に一人で生き始めて以来、かれこれ10年近く、選挙には必ず投票をしに行っています(どうでもいいことかもしれませんが、時刻にこだわりはなく、政党でいってもその都度違うこともあります)。
住んでいる地域以外の選挙についてもなるべく眼を配ってはいますが、所感を述べさせていいだけるのなら、かわいそうなのは、投票しても何も変わらないとはじめからあきらめている(あきらめに追い込まれている)、若者たちだと思っています。
ましてや、もし投票に行かないことを頭ごなしに責められたとしたら、彼彼女らの気持ちを考えると、この自分などは何も言えなくなります。
本来、選挙とは社会に風穴を開ける、少し仰々しい言い方をすれば、こうなってほしいという願いを、みずから行動に移せる機会でしょうから。
もちろんだめなときもありますが、公約違反を過剰に責めるのも益は乏しい気がします。
また、投票先が違ったとしても、あたりまえのことですが、仲良くするとき仲良くすることもできななければいけないと思います。
同時に、何でもかんでもは受け入れないことも。
そうやって、中学校から実地に学んできたのは、この自分一人ではないと思っています。
大人に期待できなくなったとき、社会は衰退していくでしょう。
その一方で、先日コメダの森でお会いしたNPO法人の方々にしても、あまり目立つことはなくても立派な仕事をされている大人はたしかにいますし、それに従って活動をしている青年も少数ながらいます。
悪貨は良貨を駆逐するとことわざにいいますが、自分は、そう考えているのはこの自分だけではないはずでが、その反対に、質の高いものは必ず大勢をよりよくすると信じています。
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