のむコーヒーゼリー
用事を終えて都心のバスターミナルへ戻ってきたときには、もう夕方でした。なつかしさがこみ上げ、歩いてすぐのよく知るコメダでしっかり食べていくことにしました。
おいしいミートソース、プラスコメダのうれしいサラダとバゲットについて、いいえ、それをいうならコメダだけのもちもち太麺についても、このうえ語るのはみんなに譲りたいと思います。この日自分が癒やされたのは、バナナとコーヒーゼリーです。
ジェリコよりも、コーヒーの深いうまみが感じられました。甘すぎないバナナは元気が出ました。バナナを食べ尽くした残り三分の一ほどは、アイスココアならしないことですが、あと少しの溶けたクリームと一緒に、グラスを仰いで、ゼリーを飲み干しました。
そこまできてソファに背中を預け、しばらく休んでいると、腹八分目で幸福感が満ちてきました。手洗いを済ませ、暗くなりすぎないうちにバスターミナルへ引き返して、真っ直ぐに帰宅しました。
余談ですが、自分は、このオアシスという複合スペースに親しむことなく大人になった世代です。いまときどき訪れて驚くのは、どの晩も例外なく、高校生から二十代の若者がこの場所で自由を謳歌していることです。ここへ来ればみんなで笑顔になれると、みんながわかっているかのようです。
コロナ禍真っ只中のハロウィンでも、そうと知らず自転車で通過しようとしたとき、この付近はたいへんな人ごみでした。当時、新聞等でそれに対する苦情も読みました。
自分は、いまの若い世代の息苦しさや、叶わなかった多くのことを思うにつけ、彼らの楽しそうな顔を見てうれしくなります。同時に、身近なところでいえば、名古屋が楽しいあまり見境のない大人になってはほしくない、とも思います。
そのために、この自分を含め、いい歳をした大人は大人らしく振る舞うことが大切だと思っています。
それは決して、派手な買いものをするようなことではないと思います。言動で、いいえ、ただ歩いているだけでも姿勢と表情で、せめて悪い見本を示さないことが、彼らのためにできるささやかなことだと、いつも肝に銘じています。