春まつりの名古屋城で、シロノワール味の小枝を買ってきました。
3月下旬からこの連休明けまでの会期中、たくさんの魅力的な催しがあるなかで、チャンスは一度と決めたこの自分が選んだのは、今日5月1日が最終日の「肥前名護屋城跡ブース〜九州にあるもう一つの“なごや”〜」でした。本丸よりも御深井丸へと先に向かった自分は、石垣の観察に長い時間をかけたこともあり、そのブースを見つけるのに少し苦労しました。
肥前名護屋城は、現在の佐賀県唐津市に位置し、文祿・慶長の役(朝鮮出兵)で秀吉が拠点とした城です。天気がよければ対馬と壱岐の向こうに半島が霞み、敷地面積だけなら全国でも有数といいます。ただ、秀吉の死後、一揆等で立て篭もられてはたまらないとの理由で直ちに取り壊され、現在では、いってみれば幻の城の一つです。
ブースへは、期待どおり唐津市から直々に何人かの若者が来てくれていました。写真のパネル展示とともにたくさんの愉快な会話をしました。烏賊が美味しいからぜひとも。
天守閣は、本丸御殿の裏手から見上げました。いまでいう調理場のあたりから、客の到着が遅れて料理のあたため直しをしたりする労をとり終え、ひと息ついた女性仲間が腰をかけて眺めるのか、それとも真正面の松か、やや左右に開いた桜なのか……。
おそらく、尾張徳川の藩主は、いくら心中にその種のことを思ったとしても口にすることはなかったでしょう。むしろ警邏等に従事する、男性たちをよりいたわっただろうと思います。それなら、こういうことを事前に描くだけでなく、御殿へは入りもせずに実地に身を置きかえて感じまた考えようとする、この自分の振る舞いは何なのか?
天守閣のエレベーターの脇を抜け、御深井丸へ続く不明門(別名、開かずの門)から堀を渡ると、ようやく清正を筆頭に記した看板に出会いました。天守閣の石垣の普請という、名古屋城築城にあたり重大極まる役目を引き受けた清正は、二条城での秀頼と家康との会見に臨席した帰途、突如発病して死んだといいます。その心痛はいかばかりで、それなのになぜあのような穏やかな顔なのか……。
豊かな水をたたえた堀の向こうに、やはり森の豊かな名城公園を望み、礎石と茶室のあたりから鯱の真後ろを見上げたところで、もと来た道を引き返しました。多くを感じ取ろうとしすぎた疲れもあってか、本丸御殿を向いた土産屋へ寄り、コメダ監修の小枝を迷わずに買い、二之丸で尾張徳川家秘伝の家訓を胸に刻んで、東門から出て宗治ゾーンで一服してから、地下鉄で真っ直ぐに帰りました。
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投稿を表示イシガミさん😊こんにちは🌸
昨日はお出かけして、色々な所に行かれて、また勉強になりましたね!
私も今日は、薬飲んで、湿布して
仕事に行って来ました🌸
コメダ珈琲店の小枝、お店に売ってるのと、違いますか?
4箱入りと書いてるのは、初めて
見た様な気がします🌸
イシガミさん😊今日も良い一日をお過ごしくださいね☆☆☆
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投稿を表示イシガミさん、おはようございます。🐣
おとぎ話の王子でも 昔はとても食べられない🎵
アイスクリーム アイスクリーム🎵
という歌がありますが、
名古屋城のお殿様でも、コメダとのコラボ小枝は食べられない🎵
お互い、気軽に食べられる、よい時代に生まれたものです。🌷
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