今日の花は、サフランでした。
自宅で消費するコーヒーフレッシュをスジャータの「新・誕生花シリーズ」に変えて以来、コーヒーを用意する楽しみが増えました。といって、花言葉にも、百を優に超す花の種類にもその名前にも詳らかではありません。ただキッチンでソーサーに置くとき、またテーブルでカップに注ぐために蓋を捲るとき、それぞれの姿と言葉を目に留め、束の間の癒しを得ています。
サフランには深い思い出があります。幼稚園を卒園した日、母が祝いの食事につくってくれたのがサフランライスでした。
あんなにうれしそうな母の姿は、その後の記憶にも数えるほどしかありません。主菜が何であったのか、またそのとき、父や、三人のきょうだいや祖母がどこにいたのかが思い出せないなかで、あのサフランライスの鮮やかな黄色とうっとりする香りは、いまなお心に浮かびます。
カルボナーラにサフランを用いるレシピ、その料理教本を高校でパスタに目覚めたこの自分のために選んできてくれたのも母でした。この子にはイタリア料理の才能があると見込んだのか、あるいは、今度は母のほうが息子のサフラン料理を食べたいと願ったのか、理知的な弁別をそこまで重んじない母にとっては、もし問うたとて、答えようのないことかもしれません。
幼稚園から家まで、生まれてはじめて二人で歩いた長い長い田舎道、桜並木をあとにし、団地と団地のあいだの裏山を抜けていく道をいまも覚えています。その記憶が、一杯の心から大切に淹れたコーヒーで、春遠い雨の日に浮かんできました。
今日の花は、サフランでした。
自宅で消費するコーヒーフレッシュをスジャータの「新・誕生花シリーズ」に変えて以来、コーヒーを用意する楽しみが増えました。といって、花言葉にも、百を優に超す花の種類にもその名前にも詳らかではありません。ただキッチンでソーサーに置くとき、またテーブルでカップに注ぐために蓋を捲るとき、それぞれの姿と言葉を目に留め、束の間の癒しを得ています。
サフランには深い思い出があります。幼稚園を卒園した日、母が祝いの食事につくってくれたのがサフランライスでした。
あんなにうれしそうな母の姿は、その後の記憶にも数えるほどしかありません。主菜が何であったのか、またそのとき、父や、三人のきょうだいや祖母がどこにいたのかが思い出せないなかで、あのサフランライスの鮮やかな黄色とうっとりする香りは、いまなお心に浮かびます。
カルボナーラにサフランを用いるレシピ、その料理教本を高校でパスタに目覚めたこの自分のために選んできてくれたのも母でした。この子にはイタリア料理の才能があると見込んだのか、あるいは、今度は母のほうが息子のサフラン料理を食べたいと願ったのか、理知的な弁別をそこまで重んじない母にとっては、もし問うたとて、答えようのないことかもしれません。
幼稚園から家まで、生まれてはじめて二人で歩いた長い長い田舎道、桜並木をあとにし、団地と団地のあいだの裏山を抜けていく道をいまも覚えています。その記憶が、一杯の心から大切に淹れたコーヒーで、春遠い雨の日に浮かんできました。
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イシガミ
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2024/03/12
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今日のコメダ場