コメダと補助犬
チャイ氷で涼んだあの日、あおなみ線沿線の収穫の一つが、荒子川公園の資料を持ち帰ってこれたことでした。
ひと通り目を通し、もっとよく考えたいとその後クリアファイルに入れて持ち歩いていました。ある日、出先で用事のあいだに時間ができたとき、コメダへ入って広げました。

プラザの催事や講座は、ほかの予定との兼ね合いもあって決めかねました。そのいっぽうで、公園全体の植栽に目を向けると、秋まつりに強く惹かれました。秋のヒマワリとはぜひ見てみたいものです。それから、冬の日本庭園を回るのは趣味に適っています。敷地のいちばん南、フェニックスアイランドへ椰子の木を見にいくなら、やはり夏のうちでしょうか。
コメダへ入るとき、ドリンクだけを注文するということは、自分はほとんどなくなりました。せっかくなら朝のうちにおいしいパンを食べたい、それは一種の強欲だと一面では思っていますが、そのあとの時間でも、コメダの食事とデザートメニューのよさがわかって以来、飲みものだけでは飽き足りなくなったからです。
しかし、読みたいものや見たいものがあるとき、食べることで手が塞がらないドリンクだけという注文は、20代30代ではそれがあたりまえでしたが、やはりいいなと思いました。それが、メニューと並んで、知る限りどこよりもゆったりできるソファーと、プライベートな時間と場所を適切に確保してくれる接客を本質とするコメダなら、なおさらのことです。
いまだ色褪せないラベンダーの記憶と、おいしいコーヒーとともに港へ思いを馳せたあとは、帰る前に、地上へ出てもう一箇所立ち寄りました。以前からときどき来ていた場所です。

サーブのことは、自分は港よりもこちらで先に知りました。もう何年も前のことです。その重みがいま一歩理解できたと思えたのは、しかし、この春と夏と2回、名古屋市中村区と中川区と港区を結ぶ、あおなみ線荒子川公園駅すぐの中部盲導犬協会を訪ねてからのことです。
この日、台座の裏に刻まれた碑文を読んで知ったのは(ハーネスも、美術とはわけが違うのだからと遠慮をやめて、そちら側からつかんでみました)、サーブがパートナーを事故から守ったのは岐阜県郡上郡美並村(現郡上市)の国道でであったこと、そしてその後、国会で国道に歩道をつけることを約束させたのみならず、盲導犬は目の見えないひとの身体の一部であることを裁判所に認めさせたということです。

盲導犬のことを学び始めて以来、自分が思うのは、街中で盲導犬と一緒のひとを見たら、目を向けることを怠らず、必要と思えるときは声をかけたいということです。そのために、日ごろから心をなるべく明るくしています。
それから、もし自分がその立場だったらと考え、歩行者として交通安全のためにできることをこれまでよりもよく注意するようになりました。たとえば交差点の渡り方や、点字ブロックに対する位置の取り方などです。また、これはパネル展示や広報誌のとくに写真から感じたことですが、たとえ理不尽な目に遭ったとしても決して怒りの感情を生じないであろう、盲導犬と盲導犬ユーザーのやさしさを見習わなければなりません。

コメダが、盲導犬含む補助犬とそのユーザーの両者を受け入れる義務がある認識を明示していることは、コメダのひとの美点をよく表わしていると思います。
自分も、それに近づきたいし、これからもできることを続けていこうと、変わらないコーヒーを飲んで考えました。
